櫟原神社
櫟原神社
櫟原神社 いちはらじんじゃ
栗栖 俊典
〒649-2105
西牟婁郡上富田町朝来2823番地
0739-47-0232
(主祭神)建美名方命 他8神 (配祀神)武速須佐男神 大巳貴神 虫遂神 市杵島比売命
梅田神社 厳島神社
11月23日
神鏡 棟札(55枚) 神像
本殿(流造 4,8㎡) 拝殿(入母屋造 36,4㎡) 手水舎(1,2㎡) 絵馬殿(切妻造 19,8㎡) 社務所(入母屋造 41,3㎡)
967㎡
岩崎 野田 梅田 ヌリヤ 峠 大内谷 南紀の台 飛野 大谷 寺原 上村 金屋 丹田台
櫟原神社とは
櫟原神社は旧諏訪神社、梅田神社、厳島神社、岩崎神社の4社を合祀して櫟原神社と云う。
諏訪神社は元、上村・金屋の氏神、梅田神社は元、下村の産土神、厳島神社は元、峠・大内谷の産土神、岩崎神社は元、岩崎村中産土神で村社であったが、明治41年神社合祀により一時期岩崎神社に祭られ、大正2年11月現在地に正遷宮された。
この時期を同じくして野田の八幡神社、飛野の日隅神社(王神さん)、愛宕神社、虫遂社等を合祀した。
次に、合祀前の各神社の由緒は次の通り。
諏訪神社〈朝来字下内代931番地(旧富田川病院敷地内)にありその由緒の詳細は、はっきりしないが、天正年間(1573)年、山本主膳正が、統治した時に自家の鬼門除の神として、長野県の諏訪神社より勧請したとも云い、又元亀年間(1570)年、村中協力して創立、勧請したとも云われる〉。
梅田神社〈朝来字上通り2824番地(旧朝来小学校)にあり、由緒は不明であるが、明応年間(1492)年に村民協力して勧請したと伝えられる)。
厳島神社〈朝来字大沼2270番地にあり、由緒の詳細は不明であるが、この地の豪族、市守長者が勧請して自家の守護神としたとも云い又、永正年間(1504)年に村民が勧請、創立したとも伝えられる)。
岩崎神社〈朝来大字岩崎字寺谷433番地にあり、由緒の詳細は不明であるが、永正2(1505)年の棟札に柏山又四郎建立とあるが、これが初めて納められた棟札かどうかは不明)。
(例祭)
祭りの準備は、神賑行事の獅子舞、楽団演奏などの稽古にはじまり、幟立で祭りをかきたてる。
例祭日2日前には、午前中に古式にのっとった御幣授与が行われる。
宵宮当日は獅子頭祓神事が行われる。
夜間は獅子舞と楽団演奏が奉納される。
本祭は、午前9時に例祭の式典が執行され、続いて大当屋の宮入りで神賑行事が始まる。
〈大当屋は7支部(宿)輪番で1年勤める〉―慣習で本祭に大当屋の宮入りが行われぬと、支部の宿(当屋)の宮入が出来ぬという―支部の宮入、御幣奉納で、神賑行事の獅子舞、毛槍踊り、楽団演奏が行われる。
獅子舞の演目は、幣の舞、乱獅子の舞、剣の舞、扇の舞、寝獅子の5段(雄獅子による)、幣の舞、牡丹の舞、振りの舞の3段(雌獅子による)である。
子供獅子舞(第3支部・小学生)の演目は、幣の舞、乱獅子の舞、おおたに舞である。
毛槍踊りは、子供(第2支部の小学生)が甚兵衛姿―甚兵衛羽織にまわし鉢巻きをし毛槍に似た槍を持ち、行列をしながら伊勢音頭などを唄いながら踊る(古くは奴姿で行っていた)。
楽団(第5支部の有志)の奉納曲目は、国歌や海征かばなどで、楽団が行事に参加した年代や経緯が偲ばれる。
午後1時より、本祭最後の餅投げ行事が行われ賑わう。
櫟原神社の写真


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