八上王子とは

世界遺産 八上王子

 八上王子は、熊野古道にある王子の一つで、熊野から流れ出る富田川(当時はは岩田川)に注ぐ、岡川のそばにあります。京都から淀川を下り海岸伝いに南下して、田辺から山道に入り、八上王子で、初めて熊野の空気に触れる場所。それが八上王子です。
八上王子は稲葉根王子と共に2016年に世界遺産に登録されました。

西行法師の歌で有名な八上王子(上富田町岡)の境内に、大きい桜の木があり、西行桜と呼ばれていました。そして人々に親しまれていました。

 

八上王子の歴史

 八上王子が初めて歴史に登場したのは、平安時代の藤原宗忠の日記『中右記』(1109年)で三栖の山(荻生山)を越えて「於新王子社奉幣」と記されている。この「新王子社」が八上王子と考えられている。したがってこの王子は12世紀初頭ごろに成立したものと考えられています。その後も、藤原定家の「熊野御幸記(1201年)」には、”次はヤカミ”と記載されています。この頃には桜の名所として知られていたようです。
平安時代から鎌倉時代にかけての熊野参詣道は、上皇や貴族を中心に、三栖山王子社から上富田町岡の八上王子社に至る岡越えの道を通り、富田川に沿って水垢離を繰り返しながら滝尻王子に向かいました。しかし、南北朝時代(14世紀)頃より、川沿いの道よりも近道になる、長尾坂から潮見峠を越えるコースが使われるようになり、八上王子は衰退していったと考えられていますが、地元の人が王子社を残そうと考え、村の神社として王子をあがめたようです。同じように熊野古道のコースから外れたために、衰退し、一時は藪の中に消えた一ノ瀬王子とは大きな違いがあります。

八上の桜

 境内には、西行が詠んだと言われている歌碑があります。

待ちきつる 八上のさくら さきにけり あらくおろすな 三栖の山風

”待ちに待った八上の桜がやっと咲いた。三栖の山から吹く風よ、どうか桜を散らさないでおくれ”という意味でしょうか?それほど、八上の桜は有名だったようです。他にも八上王子の桜にかかわるお話が残っています。

昔、田辺藩の毛見役人が、この村に稲のできぐあいを調べに来て、八上王子の前に馬をとめて、「これが西行の歌に名高い桜か」と、持っていた槍先で桜の幹を突いたところ、槍が折れてしまったといいます。
紀伊徳川家を継いだ吉宗が、将軍となった後、八上王子の桜を所属されたので、例年花の頃に小枝を切って、江戸表へ献上したといわれています。

八上王子の階の前に、何代目かに当たる桜の大樹が、最後まで美しい花を咲かせていたが、枯死したため、由緒を惜しんで、地元の方が、替りの桜の幼樹を植えています。また、スタンプもありますので、観光の際は是非押してみて下さい。このスタンプにも桜と西行の歌が描かれています。

記念スタンプです。

スタンプには、昔咲き誇ったであろう桜の絵と、西行の歌が描かれています。

手水舎

手水舎

コロナの関係で、使用できなくなっていました。

 

手水舎

※今はコロナウイルスの関係でひしゃくが取り除かれ、水もなくなり禁止できなくなっています。

瓢箪の絵馬

瓢箪には、地域の方だけではく、全国各地の方のものや、中には外国人が書いたのではないかと思われるものもりました。

珍しい瓢箪の絵馬がありました。瓢箪には、それぞれの願い事が書かれています。中には外国人の方の願い事もありました。
絵馬に瓢箪が使われているのは、地元の岡地区が、瓢箪で町おこしも行っているからだとおもわれます。

トイレと駐車場です。

トイレと駐車場です。 手前の広場が駐車場で奥に左にある茶色い建物がトイレです。

トイレは八上王子の右にあります。

※ほかにも八上王子の階段の左に昔ながらのトイレがあります。

そして駐車場は障碍者を含めて3台入れます。

※入場料は無料です。

八上王子までの距離

八上王子までの距離は、朝来駅から車で約15分、徒歩で1時間40分で着きます。

タイトルとURLをコピーしました