人柱となった彦五郎伝説

洪水と戦った先人の歴史が書かれていいます。

人柱の堤防がある公園の石です。

これは人柱となった彦五郎のお墓です
彦五郎さんの業績をしのぶ碑です。

人柱となった彦五郎

上富田中学校の裏手、朝来・生馬・岩田の旧三村にまたがる富田川右岸の堤防を、昔から彦五郎堤といい、最近は彦五郎堤防と呼んでいる。彦五郎という男がここの堤防の人柱になったと伝えられているからである。

 富田川はもともといわゆる天井川で、ちょっと雨が降ると大水が出て、堤防をこわし田畑を流して百姓の困ることが多かった。

 ある年も大水で堤防が切れて、村の衆たちは復旧の方法を相談したが、なかなかよい方法が浮かばなかった。そのとき、「今は神様に頼るしかない。ここでおみくじを引いてそのお告げをきこうではないか。」といった。衆議はそれに決まり、神主がおごそかに神のお告げを受けたところ「堤防に人柱を立てよ」ということであった。ところが、進んで人柱になろうというものは一人もいなかった。名主は改めて村の衆を集めて相談した。話は一向に進まなかったが、たまたま彦五郎という男が「この中で着物に横継ぎをしている者がいたら人柱に立てよう」いい出した。一座の者はいっせいに着物を調べてみた。するといい出した彦五郎の自分の着物が横継ぎをしているではないか。こうして彦五郎は自分からいい出して、我と我が身を人柱に立てる運命になり、身を川底に沈めた。その後、この堤防はどんな大水にも耐えられるようになったという。もっとも、今の堤防は明治二十二年の水害後に造られたものである。

 なお、人柱になったのは、彦五郎という一人の人物ではなく、彦蔵と五郎という二人の者だともいわれ、昭和三十九年に堤防上に建てられた「彦五郎堤の由来」の碑文には、その方が採用されている。

場所

国道311号線のバイパスにあります
朝来駅から徒歩で20~30分ぐらいかかります   

データ               

改装されたトイレがあります
駐車場には30~40台ぐらい止められます
年中開いています

 

マップ

 

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