智証大師

智証大師と稲荷明神

ある夏の夕方のことであった。ここ石田川(いわたがわ)のほとり稲羽の里のある野で、一人の旅僧が流れる汗をふきながら疲れを休めていました。
そこへ一人の老人がたくさんの稲束を背に負って通りかかりました。見ると老人は白髪で、軽々と人を射るようなまなざしをしていました。そばには二人の娘がいて、娘もまた稲束を背負っており、どこか知らぬが家へでも帰るようでありました。僧はこの親子に声をかけようかと迷ううちに足早に通りすぎ、アッという間にその姿を見失ってしまいました。
日も西に傾き、ようやく暮れてきたので、僧はそのまま野宿をすることにして、いつかぐっすり寝込んでしまいました。その夜、僧をそっと起こすものがあり、見ると夕方見た老人でありました。
そして、「私はずっと以前稲羽の里の長者であったが、今は死に絶えている。女二人は私の娘であるが、女二人を下・中社としてこの地にほしい」といったかと思うと、ハッとして夢から醒めました。僧は不思議なことがあるものと思い、早速この地に稲荷のお使いとして三人を丁寧に祀ったのです。後世、この社が稲葉根王子となり、稲荷社は末社として末永く祀られ、白河法皇らのを受けられました。なお、この僧は名を円仁といい、比叡山延曆寺第二代をついだ天台の高僧、智証大師その人で、平安初期の仏教興隆(ぶっきょうこうりょう)に大いにつとめ、のち天台および真言の両教に通じた人でありました。時にはおよび嵯峨(さが)天皇、弘仁(こうにん)十二年の夏頃で、大師が年来の宿願であった熊野詣の、その帰り道のできごとでありました。

(熊野文庫により引用)

稲葉根王子の外観です。

稲葉根王子の外観です。 赤い橋が目印です。

稲葉根王子の本殿です。

稲葉根王子の本殿です。 朱色がきれいです。

稲葉根王子に伝わる智証大師の伝説

智証大師の伝説は、現在の稲葉根王子付近に伝わっています。
地図は稲葉根王子です。

稲葉根王子のバス時刻表

トイレは稲葉根王子の境内にあります。
駐車場は上富田町役場の方に確認してください。
稲葉根王子の前に駐車できるスペースがありますが、
普段はくさりが、かかっています。

タイトルとURLをコピーしました