梅田

梅田の伝説

上富田町朝来の梅田地区は、今では町の中心地になっていますが、昔は大きな沼であったといわれています。
その沼には大蛇がすんでいて、人に害を加えたので、その大蛇を退治し、近くの山を崩してそこに埋めました。人々はおそれて近寄りませんでしたが、旅僧がお祓いをしたといいます。のちに近くの山を再び崩して埋めたて田を作りこの付近を「埋田」と呼びましたが、それが現在の「梅田」になったとつたえられています。この地には梅田神社が祀られていました。
梅田神社の祭礼は正月七月に行なわれ、稲で大蛇の形を作り神前に供え、式のあとで引き出して部落に分かれて綱引きをし、勝った方がその年の稲の豊作を祝いました。
また祭礼には村内から一名の童女を選び、盛装させて拝殿に伴う風習があり、これを「一時女郎」と呼びました。祭の神事は、村内の円鏡寺の住職を迎えて行なわれますが、神社から七回迎えの使者を出し、八回目に途中で出会い神社に向かう「七度半の使い」という習わしがありました。
住職は礼拝の後、土器で一握りの豆を煎って神前に供え、しながら弓を鳴らし、豆を撒いたといいます。
のちに神官がこれを行うようになり、寺僧を迎えることがなくなりましたが、これらの行事はいずれも大正年間にとだえてしまいました。
(熊野文庫により引用)

梅田

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最寄り駅

朝来駅から徒歩約5分


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